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チーム誕生 |
1992年7月渋谷区道玄坂のハブ従業員と常連客などで結成。この時生活時間帯が午後6時から翌朝6時の集団が眩しい太陽の下での健康的な事が出来るのだろうかという疑問と不安は誰しも抱いていたはず。 |
チーム名 |
何かの名簿に掲載された時「"あ"か"A"なら最初の方に載るから・・・」なんて安易な考えで意見を出し合っていたが、話し合っているのが皆酔っ払いだから話が何度も脱線して全然まとまらない。そんな中で「これからジジイになって行くのに"ANGELS"みたいな可愛いのはNGにしようよ」「草野球って試合後にエールがあるよなぁ」「じゃあ相手が呼べないような名前にしよう」ここからは候補が湯水のように出て来る。(とても公表出来るような名前はないので省略。想像にお任せしますが頭文字は"あ"や"A"では無かった)そして落着いたのが"エーズ"(そのうち皆感染するやろって、今ではシャレならん事言ってた)'92〜'94までは"道玄坂As"、'95〜"東京As"になる。 |
ユニフォーム |
当時中心になってチーム(酔っ払い)をまとめていた阪神ファンのK氏とサッカーファンのO氏がカタログを眺めながらの会話。K氏「やっぱり野球のユニフォームはタテジマやろ」O氏「色は白×黒?弱そうに見えるから止めようぜ」K氏「なんで?じゃあどんなんがエエんや?俺はタテジマじゃなかったらやらんで!」しばらく沈黙があり、O氏「そこまで言うなら紺のタテジマならどう?」「NYヤンキースみたいだと強そうだし・・・」K氏もグッと堪えて(メジャーリーグならしゃーない)決定。(弱小チームのファンは色々な場面で苦労が絶えない。K氏「スパイクは白やろ?」O氏「なんでお前のセンスはヤンキーなの?毎日会社に行ってる格好もホストみたいなスーツだし」K氏はここでも負けて黒・・・結局縦縞しか意見が通ってなかったのである。
'98年春ビジター用を・・・「日本のナショナル・チームの格好イイねぇ」「じゃああんな感じで・・・」と簡単に決定。紺の縦縞でも結構満足していたK氏には、あまり興味がなかった。'99年春シューズをカラー(白×紺ライン)に。
'01年秋グランドコートを揃える事に。10周年を迎える事でもありユニフォームのデザイン決定の時のような盛上りもなく静かに決定。というより監督が独断で決定してしまった。左胸にオリジナルマークのワッペン、左袖にAs、右袖に背番号。
'05年シーズンよりビジター用ユニフォームの使用が無くなる。週末の出欠状況(新人選手はホーム用のみ新調しているため)により全員がビジター用所持者であれば着用の可能性ありだが、球団代表が「縦縞じゃなきゃぁユニフォームじゃない」という考えの持ち主なのでどうなる事やら・・・
これまでチームが管理していたヘルメットが個人所有となった。(硬式経験者から見ると軟式でヘルメットが必要かどうか疑問に思える) |
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チームの性格 |
エエ歳したオッサン達が貴重な休日に好きな野球をするには思切り楽しまなくてはならない。野球という競技である以上勝敗は大切である。しかしそれ以上に大切な事を守らなければ本当の楽しさ、嬉しさは得られない。 |
1.時間厳守 |
まず人数が足りなければ話にならない。(遅刻の大半が「渋滞がヒドくて・・・」なんて言い訳を耳にするが、"東京の道路は毎日渋滞している。)これ程迷惑な話はない。 |
2.ユニフォーム着用 |
上下だけがユニフォームではない。帽子からシューズまでである。「服装の乱れは心の乱れ」とはよく言ったもので、怪我を防ぐためにも必ず着用。 |
3.礼儀正しく |
挨拶は野球に限らず基本中の基本である。対戦を重ね親密になろうが、相手や周囲に不快感を与えてはならない。(相手チーム、選手、審判その他関係者に対する侮辱・誹謗するような言動や聞き苦しい野次は厳禁である。) |
4.用具を大切に |
バット、ヘルメットなどチームが所有する用具は全員で出し合い購入したものである。(凡打してバットを叩き付ける、失策してグラブを叩き付けるなど用具に責任転嫁しはならない。下手の責任を用具に押付けてはならない)以上が基本であり、各個人が常識、良識の範囲で考え行動すればよい事である。 |
試合、練習 |
公式戦は渋谷区軟式野球連盟に所属し春季大会、秋季大会に出場している。 |
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